「夏休み」への憧れ、郷愁

今頃になると、小・中学校時代の夏休みは今日からだったかな、7月21日からだったかな、などとチラと思ったりする。

さあ、今日から夏休みだ!という日の解放感と充実感は、その後の人生の中でもそうそうなかったような気がする。この日、先にのぞめる夏休みの長さは無限大のような気がしたし、自由と魅力が充満しているように思えた。

じっさいは毎年それほど大したことがあるわけでもなかったが、8月末か9月頭になると「ああ、夏休みも終りか」ともの悲しい気分になったから、やはり独特の魅力に満ちたものだったのだろう。

そういう「夏休み」は学生時代の終焉とともに、二度となくなり、以来、真夏といえども、「日程やなさねばならぬこと」におおむね追われ続けてきたわけだが、この頃になってまた「夏休み」の快楽がよみがえってきたような気がする。

義務や仕事がなくなり、要するに引退生活というか老後生活が始まっているからであろう。となれば夏に限らず、春でも秋でもそうなのだが、私はたまたま中高年以降は大学の教師だったせいで、春四月は新学年開始、そして七月は夏休み!という体制がかなり長く続いたのである。

大学教師なぞラクな仕事だったが、それでも「夏休み!」となると気分が違った。

それが今はない。日々は四月であれ七月であれ、だらだらと続き、「休み!」という躍動感がない。

長期旅行に出る元気もないし、行きたい所も特にない。世間が少しフワフワした気分に包まれてくるような気がするだけだ。

でも、7月21日とか24日と聞くと、「夏休み」という言葉がスッと浮かんでくる。少年時代、学生時代の楽しさのしからしむるところだろう。老年になると、そういうものはもうないし、あっても「老年の夏休み」とはいかなるものかイメージが浮ばない。

まあ、ちょっと温泉旅行にでも行くくらいが、かろうじて浮ぶアイデアであろう。老連れ合いも多分似た思いじゃなかろうか。

さいわい信州には温泉地はあれこれある。楽しんで探してみよう。